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DDD

3月9日、まずはこの日にちゃんとこの作品を完成させて上げれた事が凄い嬉しいです。

絵を無理言って描いてくれたぽたぽんさんに感謝しきれません。ありがとうです。

この作品をこの日に上げたかったのは椎名もたさんの誕生日という事で前々から創っていたもたさんの「Q」などを中心にモデルにして創ってた唄があったのでどうせならと思っていたからです。最初の創り始める前はこんなにもたさんに関する想い入れみたいなのを込めるとは思っていなかったんですが結果的にこういう日にちゃんと間に合って本当に良かったです。

では、唄の事について色々と。

元々、もたさんの「Q」みたいなカッコよくてスチームパンク調で喧しい曲で尚且つ内容は「落ちこぼれだと思い込んでる人を叱咤する」みたいな感じの唄で行こうかと思っていたんですが創っていくうちにドンドン変わってしまいこうなりました。​「DDD」というのは「Decadent Dust Dreamer」…適当に単語を並べただけなんですが「退廃的なゴミの様な夢(虚妄)を見続ける人」みたいな意味合いでつけてあります。今回の唄の題というかキーになっているのが、ガラクタだったり虚妄、穴と色々あります。順をおって説明するんで多分大丈夫です。

この唄で僕が言いたかった事をババーっと大雑把に言いますと「大事なモノが失くなった穴の始末の仕方」です。穴というのは例えば大事な人が死んだ~とかかけがえのないモノを手放してしまった~とかでポッカリ出来た心の穴ってやつですかね。別にこの穴って言うのは「椎名もた」さんが亡くなってできた穴だけの事を指してる訳ではなく様々な穴の事を指して言ってるつもりですんでそんな重く捉えないでください。

そしてここから先を説明する前に一つ説明しておきましょう。この唄の題名案は実はもう一つあって「ミーア」って言います。そうっす。ぽたぽんさんに書いてもらった女の子の名前です。有難い事に僕に命名させてくれました。このミーアとDDDの二つの名前どちらを付けるか迷っていたんですが女の子にミーアって名前っぽいから付けちゃえば解決かなって思ってこうなりました。別にもたさんも付けてたからーって訳でもないんですけどねw。ミーアって名前の意味は「ミーア⇒ミー・ア⇒me・A⇒meA」。「僕なりの答え」って意味なんです。つまりこの唄で唄ってるのは「僕なりの穴の始末の仕方、僕なりの進み方」って事です。だから今から説明する事は必ずしも正しい訳しゃ当たり前ないし、僕はこうしていきたいって思ってることなのでそのまま飲み込まない様に注意して知っていただけると嬉しいです。とゆうことで、入ってきますよ。

挨拶を意味なくループする君に惹かれたんだ。次の朝 「おはよう。」の声はもう聞こえなくてさ」。

これはもたさんの唄にはよく「オヤスミ」とか「おはよう」とか歌詞が出てきたとおもうんですが、それをよく繰り返す君。つまりもたさんの事を指しとります。それが次の朝突然聞けなくなった、お察しの通りで。といっても僕がもたさんを知ったのはもたさんが既に居なくなってからだったのでこの歌詞は僕にとってなりえない歌詞なんですけどね本当は。

この空虚を何で埋めりゃ? 探しても有る筈ないや。だから泣き真似なんてすんな そんなのは自分で拭え」。

空虚ってのはキーにもなってる穴の事、大事な人、モノを失って出来た穴を埋める代わりのモノを必死にみんな探す。でも代わりになるモノなんて無いんです。埋めれても所詮応急処置で形もあってない、そうやって誤魔化してる。そんでやっぱり代わりになるモノが見つからないからっていつまでもいつまでもウジウジ「どうしてどうして」って泣き喚いて自分は悲しい哀しいアピール。

そんな事だけいつまでしてたって意味ないんだよ。だからまずはその穴があいたって言う自分と進むためにその涙くらい自分で拭わないと進む事なんて出来ないんだよって言いたいんですここで。

「悲しい事ばかり辛いの」 ソレハタイヘンデスネ ゴシューショーサマー 

「苦しくて立ってるだけでもう。」 ナラバカタヲオカシシマスヨ サアドーゾー」。

ここもさっき書いたように穴の空いた悲しみなのか痛みなのかそれを意味もない程にいつまでも喚いてる人に対して

半分呆れてる感じを表してます。

五月蠅い 祈る事しか そんなに僕等は無力か? 溺れるだけ海の広さと手足を忘れてる」。

喚く人に対して痺れを切らして五月蠅い。喚いて祈って手を組む事しか出来ないのかって。僕等にはそれを乗り越える為の手足や沢山があるのにその存在さえ忘れる程悲しみやら痛みやら自分になのか溺れてる。って言ってます。ここまでの流れでもしかしたら気付いた人もいてきっと気分を害してしまった人もいるかもしれません、すいません。ただ僕は誰もこういうの言わないから言いたいんです。ここまでの歌詞は僕だけじゃない、僕とみんなに対して言ってるんです。例えば誰かが死んで、悲しいですよね苦しいんすよね解りますよ。そうやって打ちのめされて気分が上がらない時間は誰にだってあるし大事な時だと思います。でも!それでもそうやって膝追って下向いて立って何も変わんねえっすよ!大事なのはソレを糧に僕らがここから先どうして行きたいか足掻き始める事でしょって思うんす。僕だって失くした大事な奴がいたけど未だにそれを受け入れられずにいる馬鹿な僕が居ますけど、こんなヘボでダメな僕だっていい加減どうにか進もうとあがいてんすよ。はっきり言います。僕が今回この唄を創って断ち切りたいモノがあります。僕は、「もたさん」って言う恩人に甘えすぎた。いつまでも縋ってればいいと思って何処か進めないでいる僕がいると思った。だからこの唄でちゃんとそこにケジメを付けたいと思ったからこの唄が出来た。これが僕なりの次に一歩踏み出すための一つの解答です。みんなはどうでしょう。因みに「溺れるだけ海の広さを忘れてる」ってのはDODというゲームでアンヘルが言った言葉「溺れる者は海の深さに気を取られ、海の広さを知らぬ」って言葉からです。後、今のうちに注意しとくとDODとかにハマってたから女の子の名前がミーアって訳じゃないです。ニーアを真似たとかじゃないから!本当に考えてたら偶然なってました!でも影響受けやすい人だからちゃんと否定しきれない僕が居るww

このサビの後、アナウンスみたいな感じで「この汽車は~」ってありますけど、ここは元々スチームパンクっぽくしたかったと話しましたが僕のスチームパンクのイメージは機械とか煙とかその中に汽車があってだからこういう感じの入れたかったなって思ってです。何か誤解する人がいるかもしれないので先に書いておきますともたさんの死因の一つに電車での自殺の噂があったらしいですけど全くこの歌詞に関しては関係ないです。あのこれも申し訳ないんですけどいい機会なので話しますね。正直「何で亡くなった」とか興味ないんす。自殺でも病死でも関係ないっす。前に創った唄の中でも言った事あるんですけど死に方じゃなくて生き方なんです。経験あるんで言いたい。誰かが死んだ時に何で?ってそりゃ思うだろうけどそれに執着するのはよう解んね。何で死んで居なくなった途端にそれまでの生きてきた道より死んだ後の道を探られるのか、俺だったら気持ち悪いなってちょっと思った。僕はその人の創った道に何が残っているのか、それを拾って僕はそのさらに先の道に進めるのかが大事…って何回も言ってるんでもういいっすねwすいません。ちょっと逸れましたね次行きます。

「失う」事を失うのが恐いんだきっと だから幸せでした じゃあそれではオヤスミなさい。

みんなも僕も大事なモノを失くすってのは当たり前怖い事だ。でも考えてみたら失えるモノがあるって幸せなんじゃないかなって思って。それって大事なモノを持ってたって証だし、僕にはまだ何か残ってるって思える痛みだし、だから僕は…これも嫌な言い方になるかもしれないけどどうかちゃんと落ち着いて自分に取り込んで考えてほしい、僕は失う事が出来て幸せでした。この穴が、この痛みを知れて僕はきっと進めると思うから。そう思ってこの詩を書きました。

「君は独りじゃない」って言葉は君の為なんかじゃない 僕の孤独誤魔化し

よく「君は一人ぼっち何かじゃない!」なんてセリフ聞きません?僕あの言葉をもし僕の口から言うとしたらどういう意味かなって想像してみたらどう考えたって「君は独りじゃない、つまり一緒にいる僕だって独りじゃない」っていう何だか孤独をどうにか誤魔化そうとしてるって思えて、だから言いたいのはもし君の前にそういう様な事を言う人が居たらその人はきっと君と同じ孤独の寒さを感じてる人だよだから少しは信じてその人に寄りかかって触れ合うのもいいんじゃないかなって伝えたいんです。僕にもそういう人が居たらなって思ってます…w

虚妄、過去、妄想、ガラクタ サヨナラ この穴は確か 君がここにあった痛みだ 放っておく もう行くね じゃあその日までバイビー。

虚妄や過去、妄想ってのは穴の代わりにしようと必死に詰めてたモノ、もういない人の虚妄を見て、大事なモノがあった過去に縋って、もしそれがあったらと妄想して、そんなのはガラクタだと気付くまで時間がかかった。でもガラクタでもそれは大事な塊。捨てずに片隅に残しておくのをお勧めしますよ。そしてこの穴。この胸に空いた穴は確かにそれがあった跡だ。だから埋めなくていい。そのままでいいんです。人によっては塞がるかもしんないし、風通しよくなって軽くなっていいかもしんないでしょ、僕はどんな風になろうとこの穴に大事なモノが一緒に在ったって忘れないために放っておくよ。そしてこの穴と一緒に暫く歩いて見ようと思う。またいつの日かもしこの穴に何かある時まで…ばいびーって。これが僕なりの答え。僕なりの穴をどうするかの答え。みんなはどうする。これが今回この唄に僕が込めたモノ達です。

この作品を創るにあたって、まず「椎名もた」さんとの出会い、もたさんを通して出会えた人、知れた事モノ、そして絵を描いてくれたぽたぽんさんは沢山沢山悩んで絵を描いてくれました。本当に有難うございました。この人たちモノ達に恥じない様に、これからももっとこの手をこの脳をこの心を動かしまくって沢山創っていこうと思います。

【追記】

​曲のテンポ、サビのコード進行はQと実は同じ。

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