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VV

ぶっ壊れてますよねー、バイヤーっす。これまで作った唄ってたいてい変なのがあったんですが、ここまで滅茶苦茶にしたの初めてです。まあ何か創ってる時に一つ壊れるとイッソ全部崩しまくればってなってこうなっちゃうんですけどねw他にもこの日に投稿しようって思ってたのに全然曲自体も出来てないしミキシングもほぼ手抜きというか適当というかざっくばらんにやっただけですし、だから破綻的って言ってんの半分位言い訳で僕がちゃんと集中しきれず作れなかっただけなんです。許して。

この唄の大雑把な説明みたいのをすると題として「二つの反対的なモノ」を考えながら作ってみました。今まで我が家のVoはオネちゃんだけだったんですが今回から新メンバーとしてハナちゃんを迎えたので、どうせならツインボーカルの唄を創りたいなと思って作り始めて元々そういうツインでカッコいい目のは創ってみたいなと考えていて始めました。「VV」という名前は一つだとただ「V」という文字でしかないけど二つ並ぶことで「W」という文字になってダブルという二つで一つという文字に代わるって事を考えてこの名前に。曲の前半がバンドサウンドでロック調なのに対して二番になった途端に電子音に代わってエレクトロなサウンド調に代わってるのも意味があって、一つは僕が音楽を作る時、ロックなバンドモノとエレクトロなモノ(もう一つあるけど)と主に創るモノを分けていてその理由がロックは僕の音楽の始まりでありエレクトロはボカロや他の音楽への繋ぎに僕の中でなっていてそういう二人の自分がいるよって解りやすくしたかったからです。二つ目、今回の唄の内容が相反する二つのモノという事で明瞭に二つの存在を歌ってると示したかったからです。だから一番と二番でメインVoも変わるんです。後、最初はバンドサウンドのみで作っておけば最近始めよううかと思っているバンドの方でも使えるかなって思ったんですがでもそれじゃ面白くないし二つハッキリ分けたかったのでこうなりました。

今回の唄の内容を細かく説明する前に…今まで作った唄の中でもここまで自分の感じてきた考えてきた部分というか心の深い所というのでしょうか、そういう他人には理解し難いであろう事を唄にしたのは初めてで、こういう事言うとやっぱりコイツ頭おかしいとかナントカ言われそうですけど僕が「物事」を考える時、層に別れていて上から「表面的で何となく感じただけの事」「主に偏見という事をせず自分の中に一度取り込んで考え感じなおす」「概念や常識とか形になってるモノを失くし白紙または0からソレを創り直す」みたいな大体三つ位に別れてて今回はその三段目あたりの所で感じた事を書きました。(※あくまでみんなになるべく伝わる様にとこう説明しているだけで別に普段からこう心がけてるとかではないです。)この三層の上の方ならまだ他人とかに話しても解ってくれる人がいそうだけど深まれば深まるほどきっと僕でしか理解…違いますね感じられない事になってくるんだと思います。みんなにもそういうのある…のかな?。まあとにかく今回はそういう所の唄なので説明しても納得しきれない所があると思いますけど気にしなくていいって事を言いたっかたんです。

では。入っていきます。まずこの唄を聞いた人は「何か二つのモノの事を歌ってるな」って感じていてくれたら嬉しいんですが何を連想したりしましたでしょうか。過去と今の自分とか、生と死とか、表と裏の自分とか色々あったら面白いです。実はこの唄ってそういう具体的な二つの相反するモノを唄ってるんじゃなくて、「全ての相反する二つのモノ」について歌わせてるんです。ズバッて答えから言うとですね、一見全く違う反対のモノに見える二つでも本当は同じ場所にある一つのモノなんじゃないのって。ああ説明すんのがムズイ…多分歌詞を解説してけば…ってことで行きます。

まず、「「随分とお疲れの様で」 鏡にできた隈が呟く」と一番と二番の初め。これは鏡を見た時に僕の顔が不眠気味でいつも以上に隈が出きてて映った僕が「お疲れの様で何をそんな思いふけってんですかい」って言ってるように思えて。そして何を思いふけってたかといいますと「現実見ろ」現実の僕 性懲りもなく諦めない」これです。現実見ろって自分に言い聞かせてるけど諦められない僕がいて、でも頭の中心の中の僕は諦め悪くていう事聞かなくて…だから嫌いで…「融通利かない頭でごめん それでも必要だと思うから」。さっきは現実的な僕から見た想像の僕を見て言ってたけど今度は逆で、いう事聞かない頭でごめん、だけどそれでもこれを捨てたら僕が僕でなくなる気がして、そうやっていつまでもウジウジと悩んで捨てきれない上にどうしようもできないから手の中で腐る、使いモノにならなく位になってしまう。「今はまだ眼も合わせられないけど それでも背と背の間 爪先ばかり見てるけど 熱を感じるのが嬉しいんだ
鏡の向こうは僕じゃない それでも確かに僕で 言い訳を繕うのは もう嫌だだだ」。言いたいことは一つです。自分という自我が気に入らないからって否定する言い訳を繕うのはやめ。いい加減僕を僕として受け入れるべき所を受け入れていきたい。そして「僕」をわかりたい。創りたい。それ以外の部分は背中に誰か(何か)いてたとえ眼も合わせられず正面向いたって爪先ばかり見てしまうけど背中に感じる熱を感じられてれば確かにいるって解ってそれだけで十分って事っす。

「月は温もり求め日を 触れて消える無知と 日が月から逃げるのは 僕を失えない
そんな曖昧な距離 僕等も掴みたい 反対に立つ君へ 追いつけないけど

相反する二つって考えた時、月と太陽に重ねて考えてみたんです。月はきっと孤独でしょうから安心を求めてもっと熱を求めて太陽に近づこうとする。だけど太陽は己に触れれば相手がどうなるかわかっている。太陽もまた孤独だろうけどそれ以上なりたくないから逃げる。その曖昧に互いを感じられる距離を保って。その程よい距離感を僕の中や世界にあるモノでも確かに測れれば互いを実感しあえていられる。それと同時に追いつけず一つに戻る事もできないだろうねって。

「コノ声 ソノ声 聞コエテイルダロウカ 僕ノ手 君ノ手 握レル近サダロウカ
離レタ ふりシテ ソシテマタ出会ウンダ 二ツノ 車ガ 衝突スル時ニマタ」と、途中突然きますが、ここは実はマイケミカルロマンスの「Helena」のブリッジ当たりで歌ってる歌詞をそのまま持ってきました。この曲を聴いたとき「あ、何かあってるな」って思って。そこまで深い意味は込めてないです。

「汚れたレンズ外せ 「ソコ」に何を見る? 「生と死」や「表裏」とか 水と油の様
目を凝らせ カラアタマ 答えは知ってるよ 誤魔化すのはここまで 初めから一つだ」

ここです。ここで二つは一つと歌ってるんです。汚れたレンズは固定概念とか常識に捉われた考えも全部無くして物事を見てほしいって事。目を凝らせカラアタマは別に馬鹿にしてるわけじゃないです。アタマを空にして見てほしいって事を言いたくて文字って空アタマ。そういった見方をしたときにもう一度解ってくることがあって本当は僕らが二つで反対的で決して同じ場所にないと思っているモノ達は綺麗に重なって合わさって一つのモノで、本当は初めから見えていたのに気づかないふりを知らず知らずしていてた、だから誤魔化すなって

「今はまだ眼も見れず それでも背と背の間 存在証明書も 要らない熱だけで」。言ったように互いを認識出来れば世界があなたは確かにいますなんて言う証明書も要らない僕だけが君だけがあなただけがソレがあるって解っているなら十分なんだって歌ってます。

「「僕」が「僕」を理解し 「僕」は溶けるだろ 「僕」を取り繕うのも 「僕」を否定するのも
「僕」を受け入れないで 「僕」が「僕」である為 今はまだ解らない。」

最後。めっさ僕僕言ってますね。なんせここがこの唄の中で一番ぶっ壊した…ぶっ壊れてる僕を表した所ですから。多分一番理解できないと思います。「僕」という入れ物の中に色んな「僕みたいな何か」が居てそれらは確かに僕であるんだろうけど理解できない。だが理解できないからこそ僕が僕として存在していられる。理解なんて出来れば僕は意味なんて無くなって消えるんだろうなって。だから僕を理解するのはまだいい。今は。まだ、そううたいました。

​どうです。意味わかんないでしょう。僕もです。解らなくていいと思います。「解らない」のがこの唄を、今後僕がまたこういう深層的な唄をうたった時の「解った」です。

それと言い忘れていましたがこの曲の原型の殆どはTwitter上で行われてる「深夜の二時間DTM」で創ったモノです。

元になった深夜の二時間DTM

           の作品がこちら⇒

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